同志社の募金精神
人々の清心により生まれ、育まれた同志社
今に受け継がれる新島襄の募金精神
1874年秋、米国ヴァーモント州ラットランドのグレイス教会。新島襄は、この教会で開催されたアメリカン・ボード(海外伝道会社)の年次大会で登壇し、「日本にキリスト教主義の学校をつくりたい」という大志を感涙とともに訴えました。
新島の話に感動した聴衆から次々と寄せられた献金。その中には、年老いた農夫と寡婦からそれぞれ手渡された2ドルがありました。
「これは私の持っているお金のすべてです。これをあなたの目的のために役立ててください」
新島にとっては忘れ得ぬ出来事でした。
こうして多くの人々の清心に支えられ、京都の地に生まれた同志社。
創立者・新島襄は、当時親交のあった勝海舟に「大学の完成には200年を要する」と述べたと伝えられています。遠い未来に思いを馳せた新島の胸中には、「日本を近代国家として牽引する人物を育成したい」という壮大な願いがありました。
次のような、新島の遺した演説草稿があります。
グレイス教会で献金を訴えたあの日から変わることのない「社会の協力を得て、良心と自由を持った人材を育てたい」「育成した人物の力で、社会全体を豊かにしたい」という新島襄の志。
同志社の募金活動には、この新島襄の遺志が受け継がれているのです。